1日温泉旅行

2020.03.11.Wed

暖かな春を感じさせるぽかぽかとした日である。そして、びゅうっと風がわたくしの髪をめちゃくちゃにして通り過ぎる日である。

 

今日は温泉旅行と題して、家から5、6キロ離れた温泉へ走っていき、そこで一日中過ごす。まずはお風呂に入る。ここの温泉はかなり久方振りである。懐かしさに浸り、昼間に初めて来たことも相まって、新たな発見がある。

 

家族で来ると時間の関係もあって、なかなか出来ない、サウナ、水風呂、サウナ…のインターバルを実行する。1回目のサウナで出会った、米窪おばあさんと仲良くなって、インターバル中に様々な話をした。大学の話や教育者について、世の中の出来事について、安楽死について。COVID19のおかげでやはりお客さんは少ないよう。

 

二人のおばあさんと話したときには、彼女らのお孫さんが教育学部で学校の先生を目指していたが、実習を経て、やりたくない、と思ったという。生徒たちにビクビクする。自分が育ったときの環境とは異なる教育現場。わたくしも教育者を志したいと思った時期がある。今も薄く残っている。それ故、ただの他人事のようには思えない。

わたくしが将来なりたいと思う人物像は、村の長老みたいな者である。小さな村でも誰からも慕われ、相談を受け、それでいて村人と立場を同じくするような者。そんな村の寺子屋で子どもたちが学ぶ。どうだろうか。都会の中心部の塾であれ、片田舎の学校であれ、心の中ではそんな野望と凪の心を持った教育者でありたい。

 

お先にあがります、とおばあさんに告げ、休憩処へ。

 

持ってきた本を読む。温かな畳の上に座布団を敷き、長テーブルの上に本をおいて読む。幸せである。長風呂した後のぼおっとしてくたっとした体とほわほわした頭の状態で、本の世界に入っていく。幼い頃布団の中へ潜り込んで、自分の空想の世界へ旅立った時のように。冷たい水と温かなお茶がある。幸せである。

14:46黙祷を捧げる。本日は東日本大震災の日である。

 

お風呂2セット目。2時間強の1セット目でクタクタになっていたので、サウナには入らず、露天風呂やぬるめのお湯に使って過ごした。2セット目は1時間。子ども連れも増えてきた。ぬるめのお湯って人を動かなくする。比喩にも用いられるわけだ。永遠に入っていられる。だが、時々変化が欲しくなった。露天風呂は日もだいぶ沈み、晴れているのに細かな雨がぱらぱら降った。

 

服を着て、先の休憩処でゆったりと過ごす。18:00。少しご飯を食べる。気になっていたつくねおろしを頂く。飲むヨーグルトも。つくねおろしは、つくねの上にたっぷりの大根おろしが乗っていて、串を持った瞬間に、くるっこ回って、こてっと倒れた。串は食べるのに使えなかったのである。おいしかった。
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デザートには温泉まんじゅうもどきで、地元の蕎麦粉を使ったおまんじゅうを頂いた。お茶も一緒に。
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19:00。そろそろ発たねば。外も暗く、休憩処の一面の窓には自分の姿が映る。真っ暗な道路にぽつりぽつりと街灯が道を照らす。少し下に降りて息を呑む。視界の下に東山の麓 一面にたくさんの星が降ったよう。町の夜景だ。漆黒の空には無数の星が浮かぶ。オリオン座のスバルまではっきりと見える。東へ向かって昼間登ってきた坂道を走り下る。それはまるで、真っ暗な滑り台で滑り下り物語の中へ飛び込んでいくような。ひとつひとつの灯火にここに生きる人の物語がある。わたくしもその一員として、そこへ飛び込んでいくのだ。今日の出来事を回想する。
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暗く静かな夜道では、ウォーキングに励む人にも出会う。そんな偶然出会った人について行って話しながら歩いてみたらどうだろうって考えたらなんだかわくわくした。

 

家に帰ると、庭の梅の木を剪定した枝の花が開いていた。母いわく、切られた枝は実をつけようと花を早く咲かせるという。もちろん、部屋が暖かいという理由もあるが。庭の梅の木の花はまだ咲かぬ。
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COVID19の影響は止まらず、高校選抜野球は中止となり、感染も拡大し続ける。自分事として受け入れるようにしたい。