およそ15年の歳月を経て、雨ニモ負ケズの意味を知る。
20.03.20.Sat
母との対談の続きである。
ドライブは続く。
宮沢賢治の雨ニモ負ケズは世間に膾炙している。しかし、世の人はその意味を皆理解しているのだろうか。
わたくしは、保育園の卒園式で雨ニモ負ケズを暗唱したため、今でも空でいうことができる。ただ、ずっと意味が分からなかった。
壁に貼り付けられた雨ニモ負ケズを見上げて暗唱していた時、保母さんが隣で、
「そんな人になれたらいいねえ。」
と語らっているのをきいた。
何故だろう。この生き方のどこがいいのだろう。
「日照リノトキハ涙ヲ流シ、寒サノ夏ハオロオロ歩キ、」
いや、困ったときになんもできん人じゃないか。
幼心ながらそう思った。
大人になったらわかるだろう。
そして、ずっとわからなかった。
この日、母に話したことで、図らずもその解釈方法を知った。
何もできなくてもいいんじゃないか。どうしようもないことに打ちのめされているだけでもいい。使えないやつだといわれてもいい。
そう、母は語った。
わたくしは、不覚にも、涙をぽろぽろとこぼしてしまったのである。
そういうことだったのか。
意味が分かったせいか。
わたくしが今欲しかった言葉だったからか。
「サウイフモノニワタシハナリタイ」(宮沢賢治)より